大橋くんとわたし。



悔しい。とても、凄く。


わたしの知らなかった三年間、どんな状況下に置かれても持ち前の笑顔とサービス精神で彼は着々とファンを増やしていた。気づけば関西のトップにいた。


嬉しかった。悔しかった。彼が階段を駆け上っていく姿をずっと追って来れなかったことが心残りになってしまった。


だからこの先彼が夢を掴むまで、掴んだ後も見守っていく。そう決めました。






わたしが関西の沼に陥ったのはかれこれ10年前。お前いくつやねん!というツッコミは受け止めます。

友人に連れられていった舞台、「Tough Weeds


感動した。息を飲んだ。




年上ばかりのお兄さん達の演技で鳥肌が止まらなかった。あの頃のわたしがまだ舞台というものに触れていなかったから?若かったから?いや、違う。彼らの演技が素晴らしかった。その日をきっかけに関西ジャニーズjr.という組織が気になり始めた。雑誌では見向きもしなかったページを読み漁り、その後のコンサートやら舞台やらに足を運んでは着々と沼へ沈んでいった。


あるコンサートで一際輝く一人の子を見つけた。彼が大橋和也くんだった。正直な話、名前は知っていた。なんなら入所の段階から噂は聞いていたから、顔と名前が一致するまでそう時間はかからなかった。

担当遍歴はまたの機会にするとして、担当を差し置いて見てしまうほど彼にはスター性があってそのコンサートは今でも鮮明に覚えている。

彼はLittle Gangsというグループで黄色い衣装を身に纏い嵐のtrouble makerを歌っていた。歌い終わりの捌ける瞬間、ニカッと笑い客席にお辞儀をした。落ちた。彼の団扇を持ちたい。純粋にそう思った。2012年冬。


ただわたしには他に応援している子がおり、気にはなりながらも公演期間中彼の団扇を持って松竹座に足を運ぶことはなかった。







そして月日は経ち...2014


年が明けて関ジュ恒例のあけおめコンがあった。アリーナの最前列花道横のチケットが当たった。自分名義。びっくりした。今後二度とこんな席は来ないだろうと思いつつ城ホールに向かった。応援していた子のデビューが決まった公演だった。

あの頃の関ジュ担は、荒れていた。

会場全体が殺伐としてた。ジュニアも同様。楽しいお祝いムードではなく、悲しいお通夜のような公演。

わたしはデビュー該当担当だったので、純粋に嬉しかった。おめでとう!おめでとう!!そう心の中で何度も叫んだけど、あまり公には喜べなかった。


それでも楽しいコンサート、彼らは笑っていた。わたしも笑った。周りもそう。


その中で一際輝く笑顔の子がいた。以前松竹座で、あの時に見せてくれた笑顔と何一つ変わらず彼は笑っていた。可愛い!!癒された。本当に癒された。


公演が終わると同時に彼を一番に応援したいという沸々と湧き上がる想いを抑えられなくなった。


偶然、公演についてきてくれた友達も藤原丈一郎くんにハマった。



これは!!!


共に応援するべきでは......!?

団扇を作るべきでは!?!!!




着火。




ファイヤーーーー!!!!



それからのヲタ活は楽しくて楽しくて。

永遠に(今でも)2014年に戻ってくれと言い続けるほどに。タイムマシン作るなら絶対2014年に戻す!と豪語するほどに。考えられないほど、考えれば愛おしさとやるせなさで頭がパンクするくらいには楽しかった。




初めて大橋くんの団扇で入った春松竹。

彼はやはりキラキラの笑顔で踊っていた。

その公演は今やわたしの人生のテーマソングに掲げた「happy happy lucky you!!」初披露だった。


一瞬でこの曲の虜になった。大橋くんの楽しそうなダンスがたまらなく好きだった。なにきんのバックで、松竹座の回転するセットで、裏に回っても客席から見えなくても堂々と、楽しそうに、決して手を抜かず踊る彼が誇らしくて愛おしくて堪らなかった。


ハピラキ中毒。これは厄介。5年経った今でも抜け出せない。それほどにはドキドキとワクワクをいただいた。ありがとう大橋くん。


降りたてほやほや、この時期ってヲタク史上一番楽しいよね。知らなかった人を知っていく。その過程ってたまらなく楽しいよね!ファァァー!!戻りたい!(こればっかり言うけどうるさいなと思ってスルーして下さい)


彼を見るようになって一番初めに思ったのが、この子本当に凄い子だな。ジャニーズでこんなにも目立つ存在なのに、ファン一人一人に対応して、ファンサービスを怠らず、ペコペコお辞儀して。何よりジャニーズにいることがとても楽しそう。何、大橋くんって天狗という言葉を知らないの?もっと鼻伸ばしていたんだよ!ピノキオになりなよ!

でもね、何が凄いって今もそのスタンスは変わらずだったこと。本当に素晴らしい。拍手喝采



天然で緊張しいで赤面症でプリンが大好きなちょっぴりいじられキャラ


少クラの筋肉ブラザーズの影響か今でも思い出すのは色白のひょろっとした黒タンクトップ姿の大橋くん。


.....そしてサンタ帽をかぶる大橋くん。学ランを着る大橋くん。思い出しすぎてしんどい。好きすぎてしんどい。重度。



(2014年春〜2015年春までは語るまでもなくただひたすら大橋くんめろり期だったため割愛)




2015年春、就職と同じタイミングでコンサートには行かなくなった。


たまたま録画していたミュージックステーションに出ていた。


中山優馬くんのバッグについてた。凄く凄く嬉しくてなんとも言えない気持ちになった。

あぁ、Mステに出れるようになったのね...。おめでとう。頑張ってほしいな。




2017年夏、少年たち南の島に雪は降る


チケットが当たって久しぶりに生で大橋くんを見た。メインに彼はいた。コントではいじられ、89番の囚人服を着ていた。夢のような光景、信じられない。



2018年、あけおめ


彼に驚かされた。正直2015年春以降はあまり情報を仕入れていなかったから、彼がここまで人気になって黄色い歓声を受けていることは知らなかった。

ハピラキでは有無を言わせずぶち上がった。






2019年春。久しぶりに行った松竹座。団扇は禁止になっていた。2017年ごろかな、松竹団扇禁止になったらしいで!と教えてもらった時「いや待て待て、団扇の持てない松竹に行く価値ある?いやない。」と思っていた自分、いっぺん召されてくれ。許してください。わたしにとって松竹座団扇禁止は城ホールトロッコ解禁と同じくらい衝撃だったのです。分かりづらい。




入った感想。



いや........団扇なくても楽しいやないかい!!むしろペンライトでフリも踊れるしなにこれ!手軽!団扇入れるどデカイバッグも持っていく必要がない。ヲタクと悟られる心配もない。今から出勤ですが、なにか?風に装って松竹座にぬるっと入ることが可能になった。ペンライトとチケットと双眼鏡オンリーで入れる公演。最高。時代は変わっていた。楽しい!楽しい!楽しい!!!


「ヲタクってやはり楽しいな!!!!!」

これが出戻った今の感想。離れていた期間はなんだったんだ。幻想か?というくらい転がり落ちるスピードは早かった。

友達に「絶対戻ってくると思った。」「一度ヲタクを経験してる人を再び沼に落とすのなんて簡単。」と言われた。


全然悔しくない〜〜〜〜〜!!!むしろありがとう!!再びこんなにも楽しい世界に戻してくれて本当にありがとう!!

今やズブズブの沼に再び浸かってしまった。つむじまで。


そして大橋くん。ジャニーズを続けてくれてありがとう。ステージに立ち続けてくれてありがとう。

「スーパーアイドルになりたいです!」今でも言い続けている入所当時からの言葉。言霊。


当時は、あはは!と笑ってスルーされるくらいに大橋くんにとってデビューは遠い遠い、夢のまた夢ところにあるものだと思ってた。正直な話、今の活躍をあの頃のわたしが知ったら目を丸くするどころか信じてもらえないと思う。ファンとして失格かもしれないけど、あの頃はいつ辞めてもおかしくない関西ジャニーズJr.の無所の子のうちの一人だった。そう思って応援してた。するようにしていた。いつ辞めてしまっても割り切れるように。


大橋くん?誰?よく言われた。


彼の努力の全てをわたしは見られない。彼がどんな頑張りで、どんな理由でファンを増やし、どう歩んできたか。残念なことにそれも知らない。でも努力家だということは知っている。だから、積み重ねて積み重ねて今の位置がある。全部全部自分で掴んできた。ひとつずつ。そう思う。



わたしからのありがとうなんて絶対に届かないけど、ありがとう!!あなたのお陰で人生は薔薇色です。


だからファンの片鱗の片鱗の片鱗で構わないから、これからあなたが夢を掴むために頑張る背中を応援させてください。


チャンスは一回。そのチャンスをものにし続けてきた大橋くんへ。


言って欲しい言葉、自分もよく使う。らしいのでわたしも彼に届けます。



「がんばれ。」










2019.9.27